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小さな奇跡

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初めまして!

ビルドプロ営業本部の長峰と申します。

まずは、いつも弊社のブログを見て頂きありがとうございます。

 

私は2024年7月に入社し、不動産事業の一員として、店舗仲介メインに売買仲介なども担当しております。まだまだ未熟なためご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いいたします。

 

今回は業務ではなく、私のプライベートなことをブログでお話しさせていただければと思いますので、お付き合いください!

 

生まれは埼玉の川越出身でございます。

4兄弟の末っ子としてバブル期に生まれた男の子です。

父親は約60年営んでいる2代目魚屋の店主です。元々はS社の製薬会社に勤めていた様で、とても物腰の柔らかい、人情味のある自慢の父親です。

そんな父をもつ私が、父から涙を落としながら、ありがとうと言ってもらえた小さな奇跡?のようなお話しです。

 

遡ること13年前の2012年2月、当時父は62歳、私は高校3年生で、大学受験真っ只中でした。

受験の合否が出ている最中に父に異変が起きたのです。

 

「・・・おや!? 父のようすが・・・!」

 

なんて進化することはなく、急に背中の痛みを訴えて、立っているのが辛い状態となり、2週間後には歩くことも立っていることもできない身体に・・・

 

医療機関を2箇所ほど受診し、でたのが「狭窄症」という症状でした。

 

簡単にいうと脊髄の骨が神経を圧迫して、痛みが出るという病です。

医師から言われるのは、「手術」の2文字のみ

完治することはなく、痛みを和らげる他ないという診断で、術後包丁握る手とかに障害が起きる可能性は、否定できないと・・・

父は、あまり感情を表に出さないタイプの人ですが、相当悩んでいるのがわかりました。

当時、あまり話し合いなどすることはなかったのですが、家族全員がいろんなことを考えたと最近になって知りました。

 

母 :手術しても、店は続けられるのか

長男:俺が継ぐのか?いやとりあえず手術だ!

長女:手術すればいいじゃん

次男:俺が継ぐのか?いやとりあえず手術だ!

私:俺が継ぐのか?いやとりあえず手術だ!

 

(兄弟男3人とも継ぐ意思がなかったことについては、薄情な息子たちってことで、家族で笑いましたね笑)

 

当時は、言葉には出していませんでしたが、みんなが心配(緊迫)していましたが、

父の症状は悪化してしまい、車椅子生活に・・・

父は、小売りでありながらも、周辺の幼稚園や障害支援施設などにも卸していたため、休むことはできないと頑なで、手術しないという決断に・・・

受験も終わり、私は毎朝父を魚屋へ連れて行き、車椅子に座ってでもできる環境を作りながら、魚を捌く練習も行い、1週間が過ぎた頃には、私は本格的に継ぐことを決意していました。

当時は本当に真剣でした笑

そんなある日曜日に調理師免許の本を探している時に、とある雑誌で見つけた記事がありました。

”狭窄症、足裏マッサージで良くなる!?”

今では、ネットで検索すれば出てきますが、当時は全く医学的根拠がなく、あまり信頼度はありませんでしたが、藁にもすがる思いで、朝と夜に父の足と背中をマッサージする日々を始めました。

結果が出るかなんてわからないまま、1週間、2週間と経ち、朝起きたら父が寝室から居間まで、一人で歩いてきたのです。

私は、寝起きでしたが「奇跡」って言葉がすぐに出ました。

 

あっ、タイトルのオチまで来るのに、長くなりましたね。

ここがオチです笑

今では医学の発展で、色々と解明されていたりしますが、何事も最後まで諦めないことがやはり大事なのだと思います。

その先に笑顔があるのか涙があるがあるのかは、結果次第ではありますが、私は人を笑顔にできるようにしたいと思っております。

 

父が涙を落として笑いながら、

「ありがとう」

と言ったあの瞬間を忘れません。

ちなみに父は、今月75歳になって元気に魚を捌いてます。

 

次回私のプライベートなことを書く機会がありましたら、私がどんな職種を歩んできたか、なぜビルドプロに入ったのかお話しできればと思います。

 

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

 

ビルドプロ

長峰